nonvega.com

のんびり暮らそう♪ラスベガス  Japanese Community Site in Las Vegas

Home     突撃インタビュー     グルメ     Help Japan     コラムの広場     ローカルブログ集     子育て     便利なローカルリンク集     サンフランシスコ領事館より     管理人へ     スポンサー      
Tax     保険     不動産     住宅ローン     断捨離1     断捨離2     断捨離3     断捨離4     断捨離5     断捨離6     断捨離7     祭1     祭2     祭3     祭4     祭5     祭6     キャラナビ1     キャラナビ2      
★「断捨離通信」3 だんしゃり Danshari   家の中でため息をついてませんか?                    断捨離1   断捨離2   断捨離4
 
 『新・片づけ術 断捨離』                                                                                                                          
「断捨離」(だんしゃり)とは、ヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」をもとに生まれた言葉。
断=入ってくる要らないモノを断つ
捨=家にはびこるガラクタを捨てる
離=モノへの執着から離れ、ゆとりある”自在”の空間にいる私

つまり、「家のガラクタを片づけることで、心のガラクタをも整理して、人生をご機嫌へと入れ替える方法」。
「そうじ」をしたり、モノを捨てたりすると、なぜか心も軽くなる、というのは誰もが経験していること。 
「断捨離」とは、皆が漠然としている「そうじ」や「片づけ」を再定義し、自分の「内在智」(心や体を快方向に導くセンサー)を磨くための行動へと落とし込んだメソッドです。 
結果、自分の心をご機嫌に、ついでに運気も向上させてしまおうという方法論でもあります。 義務感を伴う「片づけ」から、自分の内在智や運気を磨く「断捨離」へ。
 
 

 


「捨の章」 
 
「出口の番人」
 
 
前回は、モノの入り口のお話。
そして、今回は、モノの出口について。

セミナーに参加して下さった受講生さんの感想。

この受講生さん、ちょうど新しい家の購入計画中でした。
モノが溢れる手狭な今の住まいから、もっと大きい家に引っ越したいと。
それで、週末は、モデルハウス巡り。
最近の住宅は、収納スペースが充実していて、それは魅力的ですよね。

でも、今回のセミナーで、自分や家族のためにではなく、
モノのために家を買おうとしていたことに気がついたとか。
家が小さいのではなく、箪笥の谷間で、きゅうくつに狭く暮らしていたのだと。

器<家>を大きくしなくても、中味<モノ>を絞り込みさえすれば、
今の住まいのままで充分、ゆとりある空間が取り戻せる。

モノを絞り込むプロセス、余分なモノ、不要・不適なモノを取り除くプロセス、
関係が終わったモノを手放すプロセス、、、
が、出口の水門には、そこに立ちはだかる番人がいるのですよ(..)

番人は、自分自身の中にある 執着後ろめたさ

いざ、捨てようとすると、
もったいない、まだ使える、、、
いつかまた、そのうちまた、痩せたら着られるかも、、、
だいいち高かったし、このスーツ、、、
戴きモノだし、捨てるのは悪い、くれた人に、、、
思い出もあるし、、、
時間ができたら、読み直そうこの本棚の本、、、

モノのために、家を買うほうが、もっともったいない。
なによりも、莫大なお金がいりますものね(^^ゞ

写真は、処分が 先送り になったモノたちに、
いつの間にのっとられた、あるお宅の子供部屋。



 

 

                                                                                                                       5-13-10


 
「水門の番人」
 
 
 
洪水のアマゾン川、、、実際には見たことは無いけれど。

「工場見学」と銘打って、何を生産しているのか、あてる問題が出される、
TVのクイズ番組がある。
生産過程の複雑怪奇さと超スピードにも驚かされるが、
もっとびっくりするのは、ビー玉とか鉛筆、蚊取り線香に卓球のラケットとか、
ええっ、そんなに途方も無い数・量を、毎日、毎日生産しているの?!

やはりアマゾン川だわ、上流でそれだけ生産しているわけだから(..)

住まいには、それほど夥しいモノがなだれ込む恐れがある、心しないと。

勝手にやって来るにモノ・・・中元・歳暮の必要のない品。欲しくもないギフト品。
ダイレクトメールも毎日破かないと溜まるいっぽう。
勝手について来るモノ・・・粗品におまけ。ビールを買えば頑丈なグラスが付いて来た。
通販だって、一度買えば、後から後からカタログが郵便受けに。
そのカタログを広げてみれば、みんな必要なモノ・欲しかった品に思えてくるし。

割安感につい・・・洋服のバーゲンは愉しみ、愉しみ。本日の特売も。
思わず選んだ安くてでっかいマヨネーズ、はたして使い切れるのかしらん、
ひとり暮らしだったとしたら。
無いと不安で・・・スーパーに行く度に掴んでくるティッシュぺーパーのパック。
スットクも消費にみあった適量があるはずなのに。

モノの入り口・水門を、鉄壁の守りで固めるには、
あまりに多いモノと刺激的な誘惑・情報の量。

う~ん、寝ぼけていては、水門の番人は勤まりませんわ(^^ゞ

厳選して、モノを取り込むには、困難がいっぱいなんですね、
社会と自分と家族の中に。

写真は、あるお宅の「勝手に入ってきた」粗品の筆記用具の一部。
そして、別のお宅の「いつの間にかなだれ込んでいた」余分な食器の一部。



 
 
                                                                    5-9-10
 

 
「捨てたら、喜ぶ?!」
 
 
この住まい、この台所、お疲れ状態のこの空間に、
気を取り戻してあげたいですね。

住まい=自分と捉えるならば、自分を喜ばすために、
何を、どれだけ、捨てたらよいのだろう?





このお宅、典型的な危機的状況下。

あっという間に、キッチンが機能しなくなり、モノ置場を通り越して、
不快どころか、苦・悩みの元凶になってしまったこの空間。

増え続けるモノにあわせて収納たっぶりのキッチンにリフォームしたはずなのに、
数年も経ずにこのとおり。
洪水のアマゾン川のごとく押し寄せる夥しいモノたちに、
どんなに収納で防戦しようとしても、太刀打ちできませんね。

という訳で、まず捨てる、捨てる、捨てる。
元気を取り戻すために、自分を喜ばせるために、ひたすら捨てる。



数年来、手付かずだったモノが、数時間の頑張りで、ゴミ袋の中へ。

空いたスペースは、一機に、元気と気持ちよさ、喜びに満たされて。



そして、一番喜んだのは、主婦ならぬご主人の方。
なぜならこの奥さん、ご主人に喜んで貰いたくて、私に応援を依頼したのですよ。



カウンター越しに、ニューリアル<?>なった台所を、眺めるご主人。

せっせと、重たいゴミ袋を運び出して下さったご主人。
ご協力、有難うございましたm(__)m
                                                                                                           5-6-10
 

 
「本能と意識と実際と」
 
 
物流という川の流れ

このブログのテーマは、
取り戻そう、モノに与えてしまった、時間・空間・エネルギー。

住まいが、いつのまにかモノに占拠され、
ひしめくモノに煩わされながら暮らしているのが私たちの日々。

モノを川の流れにたとえてみれば、
小さな小川、そのさらさらとした流れにのってやってくるモノたちで、
生きていくには十分のように思う。

そもそも収納術なるものが、ブームとなり、持て囃されること自体が摩訶不思議。
かく言う私のコンサルタント業も無用な仕事ですね(^^ゞ

だから、意識の上では、モノがありすぎる世の中だと感じているはず。
一級河川にのってモノが沢山やってくると。

でもでも実際は、揚子江か黄河かアマゾン川か、、しかも洪水状態で。

本能と意識と実際、その三つのギャップ。

もったいない、蓄えておこうという本能が働きつつ、
でも、沢山モノはあるからと意識して構えてはみたものの、
洪水のごとく流れ込んでくるモノに抗う術もなく、、、
それが、私たちの暮らし。

住まいは、あっという間に、モノ置き場か、ゴミステーションになってしまう。

実際のところ、収納だ、片づけだと、というレベルでは間にあわないほど、
住まいはそれほど危機的状況だと。

心してかからねば、、、
                                                                                                            5-2-10
 

 
「ほんのいっとき、立ち寄って、、、」
 
 
このコラムのサブ・タイトルは、「何をそんなに収納するのだろう、、、」

先日、住宅会社の経営者で一級建築士でもある方とお話する機会が。

一時、大容量の収納スペースが、設計に要求されたけれど
最近の若い方は、必要に応じた家具を買い求めることを好み、
以前のように、あらかじめ収納を設備に組み込むことは減ってきたと。

収納場所がたっぷりあるために、かえってモノたちが、
家中あふれかえっているお宅を、それこそ、たくさん目にしてきた。
収納スペースだけでは、収納術だけでは、住まいの混乱は解決しないと、
とつくづく思う。

自分の経験を振り返ってみても、
あけくれ収納用品を買い込んでは、モノを詰め込み、
押入れにしまってはみたものの、一度も取り出すこともなく、
そのまま保存・放置・忘却したものが、いかに多くあったことか。

収納は、一時の整頓でしかなかった、私の場合(..)

今、断捨離でモノとの関係を問い直す作業をし、
分類・分別・選択・厳選と、、、繰り返し、モノを取捨選択していくと、
所有というカタチでの、モノとの付き合い方は、モノとの関係は、
どんどんと少なくなっていく。

すると、収納用品さえ無用な長物となり、ゴミに(^^ゞ

モノは、所有するのではなく、今、役立つように、自分が使いこなす。
今を時間軸に、自分を重要軸に。

モノは使ってこそ。
モノは、今、必要とされるところへ。

さらさらと、流れにのってやって来たモノたちが、
ほんのいっとき立ち寄って、また去って行く。
抱えこむのではなく、溜め込むわけでもなく。

そんなふうに、モノとお付合いできれば、
収納に、手間ひま、お金をかける必要はなくなりますね。

そして、住まいの混乱、心の混乱も、ずっとずっと楽になるはず。  
                                                                                                              4-29-10
 

 
「人生、モノ置き場暮らし?」
 
 
当初は、主婦向けの整理術セミナーであった断捨離セミナーも、
最近は、若い方々が多く参加して下さるようになった。
勿論、男性も増えた。

20代の若い男性が、食器棚の整理の仕方や下着のたたみ方を、
習いに来るわけではありませんわ、やはり(^^ゞ

彼らが、望んでいるのは、自分探し。
自己探求としての断捨離。

断捨離流の整理術は、
収納法でもなく、モノに焦点をあてるのでもなく、
自分とモノとの関係性をひたすら問う手法。
結果、おのずと、自分と自分自身との関係が明らかになってくる。

身の回りにあるモノたちが、自分の住空間にどのようなカタチで、
存在しているのか、まず気がつくところからスタート。

たいていは、モノが主役になっている。
自分にとっての要・不要ではなく、
ましてや、自分にふさわしいなど云々することなどなく、
モノが日常的に堆積しているのが、私たちの住まい。

それは、住まいと呼べるはずもなく、
モノ置場か、はたまたゴミ置場か。

そう、自分は、モノ置き暮らしがふさわしい人生なのか、
ゴミ置き場暮らしがふさわしい人生なのか、
問いかけるところから断捨離はスタート。

この問いで、ほとんどの方が、
もう着もしない洋服がギチギチに詰まった箪笥の谷間で、
自分が暮らしていたことに気づく(..)
あるいは、二度と目を通すことのない雑誌や本の山の中で、
息をしていたことにも。

モノに取って代わられた住まい。
モノに主役の座を明け渡した自分。
そして、そのことに慣れきって、気づきもしなかった自分。

いつの間にかモノに与えてしまった、時間と空間とエネルギーを、
自分に取り戻していくのが断捨離のプロセス。

ゴミ置場やモノ置き暮らしを卒業して、
住まいをさらに 自在空間 へと、整えていくのが断捨離行法。

その過程で、必ず、自分の核・コアが、見つかりますね。
                                                                                                          4-25-10
 

 
「家も、人も、みんなモノで疲れているんだな」
 
 
言うまでもないのかも知れないけれど、
いいえ、なんと説明すればよいのかわからないけれど、
私の仕事は、クラターコンサルタント。

クラターとは、英語で、Clutterのこと。

英和辞典によると、

「名詞」・・・1 ガラクタ 散乱したモノ
       2 混乱<状態> 紛糾

「動詞」・・・<場所を>(邪魔なモノで)取り散らかす
       <モノが><場所に>散らかる
       <心を>乱す

辞書をひいて、あらためて思う。
モノとそのモノの有り様、そして、心の乱れ、混乱、、、まさにひとつ。

最近は、個人のお宅に呼ばれることが増えた。
モノの混乱と心の混乱を同時にコンサルタントするために。
この仕事をはじめた当初は、混乱の自宅を、私つまり他人にさらすのは、
すごい抵抗があったように思う。
だから、もっぱらセミナー。

が、今は、頻繁にご依頼を頂戴する。
他人の目に、自分の家そして自身がどう映ろうが、
そんなことを気にしていられないほど、住まいの混乱は進行。
ひとりではどうにも収拾がつかず、助けての悲鳴に近い依頼。

本来、モノは私たちの生活を助けてくれるはずなのに。
便利に豊かにしてくれるはずなのに。

大量のモノは 邪魔 を通り越して、私たちを苦しめる存在になりはてて。

あけくれ無自覚にモノを取り込む暮らし。
無意識のうちに溜め込む暮らし。

気づかぬうちに堆積した夥しいモノたちが、
気づかぬうちに、私たちの家も心も疲れさせているのですね。

というより、邪魔とは、邪悪のと、悪魔のだと気がついた(..)
 
                                                                                                             4-22-10
 

 
「ようこそ、ようこそ」
 
 
 
さて、今回は断捨離セミナー受講生さんのお話から。

夫の妹、小姑さんが来訪。
よりによって平日の午前中、久しぶりにのんびりしているところに突然あらわれて。
いくら実家とはいえ、ズカズカと上がりこんで、なんて非常識な。
来るなら来るで前もって電話をくれるなりするべきでしょうに。
怒りを通り越して、憎しみすら覚えた、、、(..)

この状況、想像できますか?
実は、家の中が、自分でもうんざりするほど散らかっていたのですね。
だから、突然の訪問が許せなかった。
住まいの混乱を、自分で自分を責めていたから
他人にも責められるのではないかと思ってしまう。
憎しみは、無意識の防衛反応かもしれません。

この受講生さんも、それにちゃんと気がつかれて。
もし、あの時、家の中がスッキリしていたら、
きっと、義妹さんを、よく来てくれたと歓待したでしょうと。

同じ状況でも、住まい=自分 が調っていれば、まったく違う反応になるのですね。

おなじ例をもうひとつ。
家を新築して数ヶ月、引っ越したばかりのあの美しい住まいは何処へやら。
収納も以前の家とは比べ物のないほどたっぷりとったはずなのに。
そこへ、夫の母、お姑さんが新居の見学においでになった。
しかも、ご自分の姉妹をひきつれて。

なぜもっと早くに出来たばかりの時に、家を見に来てくれなかったのかと、恨んだのだとか。

何時でも、どなたでも、ウエルカムの住まい。
ようこそ、ようこそと出迎えられる暮らし。

それは、無用な悪感情をも断捨離してくれますね(^_^)v

さて、おまけにもうひとつ。
玄関先から一歩も人を招き入れることすら出来ない混乱・混沌した住まい。
ここ数年来、お客さまなど、友人知人を含め、呼んだことなどない。
ところが、カップボードには、来客用の素敵なコーヒーカップがぎっしりと。

本当は大切な人を家に招きたかったのだと、自分の本心に気がついた瞬間。

頑張れ、住まいの断捨離、こころの断捨離♪
                                                                                                         4-18-10

 
「片付け、整頓、それともそうじ?
 
 
よく一口に掃除と言うけれど、その内容は随分と違いますよね。

モノの分類・取捨選択が、片づけ。
見た目をより美しくが、整頓。
掃く、拭く、磨くが、おそうじ。

それこそ、使う脳の回路も異なるのではないかと思うくらい。

片づけ下手と称するセミナーの受講生さんに、よくよく話を伺ってみると、
掃除機をかけるのは大好きで。
でも、押入れは、いっぱいのモノまたモノでギュウギュウ。
扉を開けるとモノが降ってくるのだそうな^^;

掃除派と片づけ派に、大きく分かれますね。

もっとも、溢れるモノで、床が見えず、ここ何年も掃除機を出したことがない
という方も、けっこうおいでになる。



この状態で、掃除、つまり、掃く、拭く、磨くまでたどり着くには、
かなりのエネルギーが。
掃除以前の段階ですよね。
なにより片づけでさえ、ひとりでするには、途中でめげる可能性大。

家も人も、モノまたモノで、みんな疲れきっているのですね。

だから、まずモノ減らし。
分別、そして 分類 、再度、選択 し直し 厳選 へ。

モノを減らせば減らすほど、整頓も掃除もずっと楽になる。



どうですか、元気が戻ってませんか?

疲労回復ドリンク剤を飲む前に、断捨離という「引き算の解決法」を、
どうぞ、お試し下さいますように(^^♪   
                                                                                                            4-15-10
 

 
「食品庫が怖い(..) 」
 
 
もうひとりのクライアントさんのお話。

「食品庫をなんとかして~」と、それは救助コールSOSのような依頼。
台所に隣接する3畳ほどのスペースの食品庫。
戸を開けて入るのに恐怖を覚えるほどの有様だとか。
というより身体が入らない。入る隙間がないらしい。

食品庫が怖い~世の中、いろいろな恐怖の対象があるものなんだな^^;
たいていの混乱状態に慣れているとはいえ、覚悟を決めて出動、否、訪問。

おっしゃるとおり、うず高くしかも乱雑に放り込まれた食品、
なべ、フライパンなどの調理器具などなど。
引き戸だから、かろうじて開けることは出来たけれど、すぐ閉めたくなった。

見なかったことにしよう、、、
あれは、なかった光景なのだ、、、

が、プロが、ひるむわけにはいきますまい。
涼しい顔をつくりあげて、だいじょうぶですよ、、、と言ってみる(^_^;)

それでも、こうなった原因はすぐに理解できた。
この方、ご自分の手料理でもてなすのが大好きな方なんだと感じた。
ご主人が、息子さんたちが、連れてくる大勢の友人・知人に、
いつでも、それこそ深夜でも、すぐに美味しいお料理をふんだんに振舞う、
そんな方。

なぜなら、そこにある食品のほとんどが、さまざまな素材系の、しかも、
めずらしい食材で、保存のきくものばかりだったから。
鍋も特大サイズばかりだし。

「お客さまをもてなすのがお好きなんですね♪」
「もてなすというより振舞うという感じですね♪」

そんな言葉をなげかけると、顔がいっきにほころんだ。
大勢のお客さまをお呼びしての自宅宴会は、頻繁に愉しまれたとのこと。
そうなんですね、かつては。
だから、これだけ大量の食材をつねにスットクしておく必要があった、かつては。

が、今は違う。
息子たちは、県外に行き、夫婦ふたりの生活。
夫もリタイアして、以前のような仕事上のお客様も多くない。
なによりご自身も、身内の不幸など悲しい体験を重ね体調が思わしくない。

たくさんの食材の出番は、いつのまにかなくなって。
だのに、以前のままの買い物行動に加え、お取り寄せ、頂き物など、
入ってくるモノは今も夥しく、出て行くモノはなし、、、
差引き計算すると、結果、この有様と。

生活、暮らしの変化に、人生の変化に、対応しきれずにいた自分。
そのことにさえ気がつけば、断捨離のモチベーションはすぐにあがる。
自分を責めることなどなにもないのだ。

賞味期限切れの食品の山を、数日かけて取り除き、すっきりさせた食品庫。
恐ろしかった食品庫に、引き戸の隙間から手を入れるだけの食品庫に、
それからは、一日、何度でも、入ったり出たり。

本当にお好きなんです、手料理を大勢に振舞うことが。
こころの奥で、それをいつも望んでいたから、
あれもこれもご馳走したいといつも思っていたから、
買い物行動は変わらなかったのですね、きっと。

断捨離で身も心も軽くなり自宅宴会も復活、規模は小さくなったけれど。
そのことをちゃんと意識して、買い物も適量に。

以前のように、食品が痞えることはなくなりました(^^♪
                                                                                                               4-11-10
 

 
「大きな観光バスが、、、(^^♪
 
 
神戸より、断捨離オープンハウス見学ツアーの皆様がご来訪♪

  わが拙宅に
ようこそ、ようこそ。













少し不思議な光景のような気も。
なにかしら鑑賞に堪える作品を見学にいらしたのではなく、
モノが無い家を探訪するのが目的のツアー。
カタチあるものを見るのではなく、状態 を見学にいらしたのですね。

皆様、熱心に我が家を探検。
スカスカのクローゼット、ハラハラとしか道具がないキッチンの引き出しに
驚嘆の声。

もともと、片づけ整理ベタ、収納ベタが編み出した断捨離流整理術。
そもそもモノがあるから片づかない悩みが生じるのよ!
だったら、モノなどなければいいのよ(^^ゞ
と、きわめてシンプルな、否、短絡的な発想が原点~恐縮m(__)m

とはいえ、自分とモノとの関係を問い直していくプロセスに、
大きく深い気づきが様々あることに、今でもなお驚かされることしきり。

そのことを少しでも、皆様と共有することが、願いであり断捨離の喜び。

















セミナーにも熱心に耳を傾けて下さって感謝でいっぱい。

でも、反省すべきことは多々(..)
説明不足だったこと、補足しなければならないこと、
これからまたブログにUPしていきますね。

どうぞ、またお読み下さいますよに(^^)/~~~ 
                                                                                                                 4-8-09
 

 
「出入り口の原理」
 
 
「出入り口」とは言うけれど、「入り出口」とは言わない。
「呼吸」は つまり 吐く のが先で、「吸呼」とは言わない。

吐きさえするば、自ずと吸える。
こんなことも、若い頃、ヨガで教えられた。

流れをスムーズにするためには、
電車だって降りる人が先。そうしないと誰も乗れない^^;

何事も、「捨」つまり 出す・手放す ことが先なんですね。

暮らしも住まいも一緒。

今ある不要・不適なものを見極めて、「捨」=取り除くことが先。

分別、分類、選択、厳選 のステップを繰り返し、
取り除いた結果、残ったモノたちとの暮らし。

そんな暮らしが実現できたら、入ってくるモノは自ずと厳選されたレベルに。
なぜなら、モノに対する意識が、確実に変わるから。

漫然となんとなく、モノと向かい合ってた暮らしから、
今の自分に ふさわしい と思えるモノとの暮らしにシフトした時、
モノを取り込む時の妥協が無くなる。

これで、いいか、、、ではなく、これでなければ、、、に。

手放さなくては、入ってこない。
手放したら、入ってくる。
そして、その時入ってくるものは、手放した時の意識レベルが引き寄せたもの。

目指すは、厳選された少ないモノ 少ないもので豊かな暮らし ですね(^^♪
 
                                                                                                                            4-4-10
 

 
「モノを減らすと」
 
 
「モノを減らすと強くなる」
「モノがなくても困らない自分を発見するのは、快です」

ある受講生さんの感想。

不要で不適なモノを具体的に取り除いていく中、
「人生に、いろんな変化が出てきた♪」という受講生さんの話をきくのが、
私は大好き(^_^)v

モノの「取り除き」があって、人生が変化するのか、または、その逆なのか、
どっちが先かわからない、でも間違いなくリンクしている。
今の自分を卒業して、変わらなきゃ、、、という意識が芽生えた時、
あけくれモノをほじくり出して捨てたくなるのか、
捨てるという具体的な行動をしていると、変わらなくては、卒業しなくては、
という潜在していた欲求が一気に噴出すのか。

断捨離セミナーに参加して下さる方々もそう。
人生に変化を求めていたから「断捨離」に出会ったのか、
受講するうちに、人生に変化を求めていた自分に気がついたのか。

意識していなかった無意識の「変化の欲求」に、
断捨離したら、自ずと気がつかされて。
意識したとたん、さらに断捨離に拍車がかかり、
断捨離に加速度がついて、変化がさらに大きくより劇的に。

最近の受講生さん、
するとなったら、する。やるとなったら、やる。
熱心に、熱心に断捨離に邁進するので、
私も、寝ぼけては居られません(^^ゞ
 


                                                                                                                                         04-01-10

バックナンバー
 
断捨離1      断捨離2

  

 

著者 やましたひでこ

 

断捨離の目指すところは、日々のごきげん。
そのごきげんは、自らの、先送りすることの無い小さな選択決断の繰り返しから・・・そんなふうに思いませんか?
 
ごきげんの輪が、ラスベガスに、さらに広がらんことを。 
そして、ひとりでも多くの方が、ごきげんであらんことを。