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★「断捨離通信」5 だんしゃり Danshari   家の中でため息をついてませんか?      断捨離1           
 
 
 『新・片づけ術 断捨離』                                                                                                                   
「断捨離」(だんしゃり)とは、ヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」をもとに生まれた言葉。
断=入ってくる要らないモノを断つ
捨=家にはびこるガラクタを捨てる
離=モノへの執着から離れ、ゆとりある”自在”の空間にいる私

つまり、「家のガラクタを片づけることで、心のガラクタをも整理して、人生をご機嫌へと入れ替える方法」。
「そうじ」をしたり、モノを捨てたりすると、なぜか心も軽くなる、というのは誰もが経験していること。 
「断捨離」とは、皆が漠然としている「そうじ」や「片づけ」を再定義し、自分の「内在智」(心や体を快方向に導くセンサー)を磨くための行動へと落とし込んだメソッドです。 
結果、自分の心をご機嫌に、ついでに運気も向上させてしまおうという方法論でもあります。 義務感を伴う「片づけ」から、自分の内在智や運気を磨く「断捨離」へ。
 
 

 


 離の章 「見える世界」と「見えない世界」
 
 
 
「家を大切にする」
 
 
家を、大切にする。
家にいることを、大切にする。
家にいる自分を、大切にする。

家は、自分自身そのもの。

自分のありようが、家の有様となって、具現する。

忙しく、追われるような毎日を過ごしていれば、やはり、住まいは乱れる。
気持ちのゆとりが持てない時、やはり、住まいは乱れる。

家は、つねに自分を、映し出す。

まして、モノが、増殖、堆積、跋扈している家ならば、
空間はもとより、時間もエネルギーも、モノに奪われる。

繰り返し取捨選択を続け、モノを絞り込んでていくならば、
厳選されたモノだけがのこる。

厳選された大切なモノに囲まれた家に住まうこと。
それは、家を大切に暮らし、自分を大切に生きること。

片づけても、片づかない住まい。
片づけ出しても、はかどらない住まい。
片づけても、すぐにもとどおりになってしまう住まい。

そんな暮らしの悪循環からは、
モノを絞り込むことによって、卒業できますよ、間違いなく。



佐藤可士和の超整理術

                                       11-18-10
 

 
「家が好きになる」
 
 
家が、好きになる。
家にいることが、好きになる。
家にいる自分が、好きになる。

断捨離をして、住まいから、不要・不適・不快なモノたちを、
取り除いてみると、今までと違った光景が、展開してくる。

モノが、増殖、堆積、跋扈している住まいから、
モノが、主役となってしまった住まいから、
主役の座を取り戻していくプロセスが、断捨離。

我が家って、こんなに広かったのね~

狭い、窮屈で、どうにもならないと思っていた家が、
実は、空間も時間もエネルギーも、モノに与えてしまったためだったと、
気がついた時に、パラダイムのシフトがおこる。

現在の家に、うんざりとしていて、
引越し、改築、増築、新築・・・と、思い描いていた受講生さんたち。

セミナー後の最初の感想は、
自分住まいが、到底住まいと呼べるような状態ではなく、
モノ置き、否、不要・不快・不適なモノたちの巣窟、
はっきりと言えば、ゴミ置場だったことに、愕然とする。

断捨離はじめたら、ものすごい「おぞい家」に住んでることに、
改めて気がついてしまった・・・。

今住んでる家は大切に暮らしながら、
一体自分はどんな家に住みたいんだろう・・・

どんな生き方したいんだろう・・・
どんな死に方したいんだろう・・・

「理想の家・住まい方」を、考えはじめた

こんなことを考えながら、断捨離に励んだ受講生さん。
さらに、思いを綴って下さって。

和もモダンもカントリーも北欧も洋風もどれもイイけど、
全体が一つの雰囲気になるのは、息苦しい。

洋風は明るすぎる。
和風は湿っぽい。

光と影の陰影が絵になる、洗濯物や掲示物もなじむ、そんな家がイイ。
明治~大正~昭和初期~高度成長期 の雰囲気で。

新築が一番きれいで完成されてて、汚れてくだけなら悲しい。
そうじゃなくて、傷や汚れも味になっていく家がイイ。

ひとことでいうと 、「色気のある家」

隙や間のある、かくれんぼできそうな、へんなつくりの家がいいな・・・

あれっ 、

それ

今の家じゃん。
おぞいけど、それなりにいい家だったんだ・・・


この受講生さん、とっても素敵なことに気がつきましたね。

理想の家とは、
今の住まいと、モノとの関係、そして、自身の暮らし方・生き方を、
あらためて問い直した時に、見えてくる・・・

家を、入れ物というただの箱から、
わたしたちの暮らし・生き方を応援してくれる仲間とするのが、断捨離です
                                                 11-11-10
 

 
「ゴミにも、ガラクタにも、レベルがある」
 
 
どこからどうみても、ゴミなのに、捨てられることなく、そこにある。

その反対に、まったく傷んでもいないのに、まだまだ使えるものなのに、
簡単に捨てられてしまうことも。

なにがゴミでガラクタで、
なにがゴミでもガラクタでもないのか、
わからりずらいのが、今の世の中。

ゴミならば、捨てる。
捨てられずにあるということは、その人にとっては、ゴミではないのですね。

モノの寿命は、人より長く、
寿命の長いモノそのものに焦点をあてているかぎり、モノは、家にとどまる。
結果、大量なモノたちが、住まいを占領し、やっかいな存在となる。

だからこそ、モノとの関係を問い直していかないと。

無自覚、無意識なモノとの関係を卒業し、
自分とモノとの関係性に焦点をあててみると、
もう必要のない、終わった関係なのか、見えてくるはず。

あらためて意識し出してみると、
こんどは、家の中のモノ、すべてがガラクタに見えてくる。
なんで、こんなにも沢山の要らないモノたちが、
自分の暮らしを煩わすのか。

意識次第で、モノは、ゴミ、ガラクタになったり、
保存の対象になったりと、変化するのです。

モノとの関係の問い直しがないかぎり、
そして、それは、自分と向いあうことでもあるのだけれど、
どんなに収納に取り組んでも、家は、整うことはありません。

                                                  11-4-10
 

 
「ようこさんの電化製品のない暮らし」
 
 
 
今日も、「断」のお話。

断捨離の「断」は、モノの入り口でのこと。
モノを取り入れる時に、本当に必要かしらん?、
本当に欲しいのかしらん?と、ちょっと立ち止まってみる。
そんな感じですね。

決して、すべてを「断つ」訳ではありませんから・・・

ただ、自分とモノとの関係を問い直していく作業を続けて、
「厳選」のレベルに、意識が高まると、
それは、セルフイメージが、高くなっていくことでもあるのだけれど、
自身の高いセルフイメージにそうモノは、当然のごとく限られてきて。

中には、周囲で売られているモノ、すべてガラクタに見えてきたりで、
買い物行動が、劇的に変わる受講生さんも。
あんなに買い物好きだった、かつての自分を、訝るくらい・・・


さて、キッチンスペシャリストのようこさん、
キッチンを使いやすく快適な場にするお仕事の方。
常々、お客さまの台所に、電化製品が溢れているなと、感じていた。

どんなライフスタイルだと、こんなに電化製品を持たなくてすむのだろうかと、
結婚で自分のキッチンを持ったのを機に、検証して見る。

電化製品の見直し・・・
食の見直し・・・
生活の見直し・・・

電子レンジも、炊飯ジャーもない生活・・・
トースターも、電気ポットも、コーヒーメーカーも、無い・・・

さあ、電化製品のない生活が、はじまりましたよ。



新妻ようこの家電製品が無い生活への挑戦!

キッチンの設計を仕事にしているし、
自分のキッチンを持ったら一度やってみたいな~と思っていた事、
家電製品をなるべく持たない生活!できんのか?!

なぜ、私は時代を逆行する、このような原始的な思いに洗脳されてしまったのか・・・

続きは、以下へ、どうぞ(^^♪
http://hhkitchen.exblog.jp/8621768/
                                                                                                               10-28-10
 

 
「貰わない・・・という選択と決断」
 
 
最近、お祝事や仏事のお返しに、カタログで頂く機会がふえましたね。

ある受講生さん、実はこのカタログが、とっても苦手で。

まず、何を選らんで良いのか、わからない。
なかなか決められない自分に、イライラすることも。
そして、いつも締め切りに間に合わず・・・先送り体質の自分に落ち込んだり。
居間の隅の棚に、積まれているカタログも気になって。
とっくに有効期限が過ぎているにもかかわらず、
ハガキを出していない後ろめたさも手伝って、処分することも躊躇するカタログ。

他人から見れば、たいしたことでもないような気もするけれど、
ご本人には、意外と深刻な問題。

そう、この受講生さんにとっては、積まれたカタログ=優柔不断な私・・・
という図式が成立。
カタログの山が目に入るたびに、知らず、自分を責めていたんですね、
心の隅で。


1回目のセミナー受講後、あらためて、このカタログの山を眺めてみる・・・

なんだ、貰わなければいいんだ。

何を選んでいいのか分からない、のではなく、選ぶモノがないだけだった。
そこに自分の欲しいモノがない、ただ、それだけのこと。
欲しいモノがないのなら、貰う必要などないだけのこと。
そのことに、気がついた。

モノを選ぶ・・・という選択の前に、
貰う・貰わない/選ぶ・選ばない・・・というひとつ前の選択があった。

なんだ、簡単なこと。

選ばない・貰わない・・・そんな選択・決断ができた自分。
選ぶモノはありません、と、きちんと表現することを、自分に許す。
優柔不断どころか、とっても潔い決断ができる自分を、発見しましたよ。



私も、時々、こんなことしてしまいます。
下さるから、貰えるからと、必要もないモノに、好きでもないモノに、
手を差し出してしまうことが。

だって、断ることは、
思っている以上に勇気がいるし、
申し訳のない・・・という、後ろめたさがつきまとうものだから。
                                                                                                          10-21-10
 

 
「鬱々と・・・」
 
 
鬱々とした気分に落ち込んでいたり、
自律神経失調症からくる身体の変調に苦しんでいたり、
そんな方々からのご相談が、増えています、最近は。

断捨離は、医療行為ではないのだけれど。

ご相談の方々、皆、同じように、片づいていない惨憺たる住まいに苦しんで。
なにより共通しているのが、片づけられない自分を、責めて、責めて、責めて・・・

自分を責めるのは、エネルギーのロスですね。
これこそ損というもの、もったいない。

とは言え、片づけに動こうにも、動けないのが、その症状なんですよね。

動かないのか・・・
動けないのか・・・
動きたくないのか・・・

片づかないから、気持ちも身体も沈む、気持ちも身体も重いから、片づかない、
悪循環のサイクル。

潜在意識はちゃんと知っているのですよね。
気持ちと身体と住まいの有様の深い関係。

だから、この断捨離にアクセスしてくる。
そして、アクセスしたということは、自分にとっての最良の改善方法を嗅ぎつけた<?>から、こそ。
そうは、思いませんか。

ご自分の嗅覚を、信じてもいいですよね、うん(^^♪

さて、自己嫌悪と気持ちと身体の難儀にあえいでいるあなたへのアドバイス。

まずは、レスキュー隊のゲットから。

家族・友人・知人に、助けを求める勇気を。
自分を責めるヒマもエネルギーも、SOSを出す「勇気」に変換して。
ひとりで片づけるのは、無理です。
今の状態を抜け出すには、手をひっぱてもらい、お尻を押してもらわなくてはならないと、
素直に認めて下さい。

片づけに助けを求める「後ろめたさ」は、いっとき脇におきましょう。
惨憺たる部屋を人に見せるなんて、という恥ずかしさも、封印。
そして「助けて」と叫んだら、必ず、誰かが手をかしてくれることを、信頼しましょう。

次にすることは、布団。

今、使っている布団が、何年もたっているものなら、思い切って新しく。
それが無理なら、お日さまに、よく干してふかふかに。
もちろん、シーツ・カバーは、つねに洗濯して清潔に。

簡単にできる「転地療養」みたいなものですよ、布団の交換は(^_^)v

このメカニズムについては、いずれ説明するとして、
まずは、お試し下さいね。
                                                                                                          10-14-10
 

 
「栄養摂取の誓い」
 
 
「栄養は、自分によいものを取り入れ
自分に悪いものをいれず
不要なものは出しきることであると知りました。」

「自分取り入れて良いものと悪いものを知っているのは
身体自身にあたえられている智恵であると知りました。」

「今からの私は、自分の内在智の教えに従って
自分に適し、自分に必要なものを取り入れ
不要で不適なものは出しきるよう努めます」

「いただきます」

◆栄養摂取の誓い◆

学生時代に通ったヨガ道場で、三度の食事の前に必ず唱える誓い。

もっとも、三度とはいえ、朝食は根菜類のみそ汁一杯、昼食は玄米菜食、
夕食は、お蕎麦一杯のみでしたが・・・でも、とっても美味しかった。
少ない量で、滋養あふれる豊かな食事。

これが、「断捨離流の片づけ」の原点。

少ないモノで、ゆとり溢れる豊かな暮らし・・・栄養摂取の誓いを、暮らしのモノに応用です(^_^)v

まずは、不要・不適・不快なモノを出し切ってこそ、
要・適・快が、見極められる内在智が、磨かれるのだと。
結果、入り口でのモノの絞込みが、無理なく無駄なく自然にできる。

「食べ物に善悪なし」・・・身体に良い悪いと、食べ物自体を、私たちは云々するけれど、
実は、食べ物の性質を生かしているか、殺しているか、自分の責任。
栄養とは、食べ物のいのちを自己化すること。
他のいのちを、自分のいのちに置き換えるのが、食事。

モノもおんなじですよね。
量ではなく質。
そして、その質も、どう作用するかは、人それぞれ。
そのモノを生かしているか、生かして味方にしているか、生かして応援を受けているか、
すべては、自分のありよう。
ただとってあるだけのモノたちは、味方にはなってくれません、けっして。

ましてや、放置され、忘れ去られた夥しいモノたちの堆積は、敵にも害にもなる。

これも、冷蔵庫の中の保存のつもりが、いつの間にか忘れて腐らせてしまった食べ物と、おんなじですよね。                  
                                                                                                                   
          
                                                                                                                           10-7-10


 
「自信あり♪」
 
 
「友達を家に招くなんて、とても考えられない・・・」と、言っていた受講生さん。

今なら、2、3日の猶予があれば、お客様をお招きできると、嬉しそう。
ずいぶんと、片づいた状態を保てるようになりました。

それは、ひとえに、モノを絞りこんできた結果。
モノが少なければ少ないほど、散らかっても、もとに戻すのは簡単。
掃除<掃く・拭く・磨く>のやる気だって自然に湧いてくるし、なにより楽にできます。

かつて、とても人を呼べるような家ではなかった。
それは、心の隅に、恥ずかしいと思っているもうひとりが棲みついているようなもの。
それでは、自分に自信など持てません。

まだ突然の友人の訪問には対応できないと、笑っていたけれど、
その日も、近いでしょう。
1年近く、諦めずに断捨離に励んできた、この受講生さん、よく頑張りました。
最初は、あまりに夥しいモノに愕然・呆然、泣いていたくらいですから。

突然の訪問が、もし、幸運の女神さまだったら・・・

玄関先で、失礼するのか、
どうぞどうぞと、招きいれるのか、
リビングまでお通しして、お茶をお出しするのか、

女神さまに、ゆったりと寛いでもらえれば、こっちのもの(^_^)v

それもこれも、自分の気持ち次第。
玄関までなら、いえ、リビングまでも大丈夫。
ピカピカのトイレもどうぞ、たとえもし冷蔵庫を覗かれたって、なんら問題なし。
それどころか、クローゼットだって押入れだって、わざわざ開けて見せたいくらい。

住まいの状態は、自信のバロメーター♪

どこを見られても、恥ずかしくない自分。
どこを見られても、自信がある自分。

チャンス・ロスも、チャンス・ゲットも、自分次第。
そう思うと、断捨離に、ワクワクしてきませんか(^^♪
                                                  9-30-10
 

 
「片付きましたね ♪」
 
 
ひと月ぶりに訪問した受講生さんのお宅。

いや~、片づいていましたね(^_^)v

この受講生さんが、最初にセミナーにご参加くださったのが1年半前。

1クール3回のコースを受講。
その後、自分のような、何でも欲しがり、溜め込むタイプは、家族の協力が不可欠とばかりに、
息子さんと娘さんをつれて、再受講で2クール。

断捨離を友人たちとも共有できたら、励ましあえると、3人のお仲間さんを連れて、
再々受講で、3クール目。

その後も、月1回、その友人たちと一緒に、断捨離勉強会の継続。

どんなにか家はスッキリしたと思いきや。
あいもかわらず、モノが溢れる暮らし・・・
でも、彼女なりに、奮闘はしていたのですね。

漸くにして、ひと月まえ、私を、自宅に招待してくれた。
今までは、もっと片づかないと、呼べませんと。
でも、思い切って他人の目にさらせば、モノへのふんぎりがつくかもしれないと。

長い間、ほんとうに長い間、堆積しつづけたモノの呪縛。
頭では、もういらないと、わかっていても、いざ処分にとりかかると、
やっぱり必要かも・・・と思いだし、いるのか、いらないも、
それすら、かわらなく、戸惑う自分。

だったら、なにもかもそのままにしておいた方が、ずっと楽なのですね、実は。

あらためて、このひと月と、期限をきって、断捨離にチャレンジ。

その方法。
狭い部屋を占拠していた収納家具、なおさら部屋を狭くしていた大型の家具をまず撤去。
当然、その中にあった大量のモノが、畳や床に。
そう、そうやって自分を追い込んで、こまごまとしたモノたちの取捨選択を開始。
甘い基準でモノを見直しても、残ったモノをしまう場所は、もうなくなっている。

床、畳が、ちゃんと見えるまで、モノを絞込み続け、そして、手放した。

廊下に溢れ、扉を塞いでいたモノたちも無くなった。
風通しもよく、行き来も自由になった住まい・・・快適です。

思い切ったこのやり方、とってもお薦めではあるけれど、
初心者がやるには、ちょっと問題もあるかもしれない。

いっこうに片づかなかった1年半、
だけど、確実に、意識改革がすすんでいたからこそ、できた方法なんですね。

家族の協力をえながら、なにより自力で、やりとげた。
before&afterの写真を載せられないのが、残念。

この受講生さん曰く、まだ道半ば。
もっともっと片づいたら、必ず写真をと。

でも、もう少しだと思いますよ~、ブレイクスルーまではね。
愉しみです。
                                                                                                             9-23-10


 
「後ろ向きの姿勢から~」
 
 
受講生さんから、こんなメールをいただいた。

◆セミナーを受講して、自分が人生の列車に後ろ向きに乗っていたことがわかりました。
目の横に新しい風景が追加されていくけれど、
視点の先はいつも過去を見つめている…そんな感じです。
前を向いて未来を見つめ、「今」を生きなくては!

ゴミは処分し、過去の分身のようなモノたちは、手放します。
後ろ向きの姿勢から、1°づつ回転し、180°を目指します。◆


この光景、目に浮かびます。
鈍行列車のボックス席、進行方向に背を向けて、車窓から過ぎゆく景色を眺めてる・・・
まるで感傷旅行、センチメンタル・ジャーニーのよう。

癒しの旅が、必要な時もあるけれど、それは一時のこと。
人生の行程を、いつもいつも後ろ向きで歩むのは、それこそもったいない。

この受講生さん、あらためて住まいを見回し、意識的にモノを捉えてみたら、
すでに関係の終わったモノたちばかりに
自分の過去を象徴するモノたちばかりに、
囲まれていた自分に、気がついたのでしょう。

「過去の分身」であるモノ、もちろん、それすべてを否定することはないけれど、
過去に埋もれて、身動きならない状況であるならば、
可能な限りすみやかに取り除いたほうが得策というもの。

モノひとつ手放して、こころひとつ軽くなり、もうひとつ手放して、またひとつ軽くなる・・・

モノは、侮れず、手ごわい存在ではあるけれど、
それは実のところ、自分の内に潜む抵抗勢力の象徴であるのだけど、
だからこそ、手放す効用は大きく、
手放せた時の効果に、自分ながら驚く結果が、待っているのですね。
                                                                                                                  9-16-10
 

 
「呆然と~どこから手をつけていいのかわからない・・・」
 
 
 
前回のブログに、コメントを寄せて下さった「私もそのセミナーに行きました!!!」さん。
かなりご自分を責めているようで・・・

住まいの様子、ひいた目で見ると、尚更、ため息が出てしまうのも無理からぬことだけれど、
まるで、自分に欠陥があるように、思うことはありませんね。

それは、ご自分のせいというより、環境のせい。
まあ、その環境をつくり出した要因のひとつに自分がはいることははいりますが^^;

セミナーに出ても、本を読んでも、ブログを読んでも、
頭ではわかっていても、動けない、動き出せない自分。

想像してみて下さい。
がんじがらめに縄で縛られていたら、誰だって、動けないですよね。
実のところ、家にある夥しい量のモノは、自分を縛るロープと一緒。

モノの【量】×そのモノの【堆積期間】=動けない自分・・・
どこから手をつけていいのかわからない!?~呆然の度合い・・・という図式

つまり、モノの量がロープの【太さ】で、堆積期間が縛る【強さ】だと。

太いロープできつく縛られた身体が、頭ではどんなに、そうだ!捨てなくちゃ!と思っても、
動ける訳などないのです。
しかも、目に見えないロープだから、始末が悪い。
家にいれば、そのロープ、自動的にからみついてくるのですよ、間違いなく。

うず高く長期にわたって堆積した不要・不適・不快なモノから出ている【呪縛】というロープ。

このブログを読んだだけで、不要なモノをすみやかに一掃できる人。
カレン・キングストンの本を読んで、頑張る人。
1回のセミナーで、燃えて燃えて、寝ないで片づけまくる人。
セミナーに何回も通いつめる人。
そして、ひとりでは叶わず、ついにはレスキューを求める人。

それもこれも、それぞれ、縛られているロープが、細いのか、太いのか、
ゆるいのか、きついのか、という違があるだけのこと。

自分を責めるのは、なおのこと、ロープがきつくなってしまいますよ~

まずは、自分を縛っているロープの状態【環境】の診察・診断からスタートです。


そうそう、もうひとつ、ロープの材質も問題と。
まあ、材質については、いずれまた・・・実はこれが、とっても問題なんですけれど。
                                                                                                                          9-9-10

 

 
「ダイエット、繰り返しダイエット」
 
 
世の中には、いろんなダイエット法がありますよね。

最近は、骨盤ダイエットだとか、よく目にするけれど、
「1回の施術で、腹部マイナス10センチ」なんて、コピーをみると、思わず試したくなる・・・(^^ゞ

なんでも、手軽に早く結果が出ることの方に、魅力を感じるのはあたりまえか。

先日、「人生がコロッと楽しくなる・・・」しかも「このやり方を取り入れると2度と家が汚れない・・・」
というキャッチコピーに心引かれて、とある収納術セミナーに参加(^^ゞ

断捨離は、「アンチ収納術」ではあるのだけど、
「コロツと・・・」と「2度と・・・」と、言われて、捨て置くわけにはまいりませんね。
なにより、そんな素晴しくて簡単な方法があるのならば、
繰り返し受講して下さる我がセミナーの受講生さんに、申し訳ないではありませんか。

して、その内容は?

たしかに、ビフォー&アフターの写真に、セミナー会場には驚嘆の声が。
業者が介入しての収納作業の数々、結果、住まいの様子は、劇的に変化。

ダイエット成功者の写真もそうですね。
大幅な減量の結果、見違えるように素敵に変身しています。

でも、そこにいたるまでのプロセスに、いかに難儀があったかは、容易に想像できる。

意識して意識して、食べ物・モノに、向かい会い、
自分と向かい会い、不要・不適・不快な食べ物・モノを取り除いていく、、、
しかも、それは自分の内側から湧いてくるモチベーションなくして、
その努力は継続できるはずもないだろう。

他人の結果写真だけを見て、まるで自分も出来きるような気になってしまいがちだけど、
TVのダイエット情報番組を見て、痩せる訳もないように、
片づいた家の結果写真を見ているだけでは、住まいに変化はやってこない。

ダイエット情報が、手を変え品を変え提供されるように、
片づけ本も、それこそ山のように出版されていますよね。

食べることも、モノを取り込むことも、そして、それらの保存も、いわば本能の領域。
生存・サバイバルの領域、戦いの世界。
かつて、食べもの・モノは、確保も保存も容易でなく、生き残るのが難しかった世界。
そんな世界でこそ、不可欠、必須の本能。

食物もモノも、必要以上に有り余る世界で、幸いにも暮らしている私たちが、
まっとうな意識化を加えていかないかぎり、そしてそれを続けていかないかぎり、
身体の脂肪も、住まいのガラクタも、膨張の一途・・・

幸いをもたらすはずの食物とモノが、
どうか、メタボリック症候群や家の中でのため息・息苦しさとなりませんように(^^♪

簡単、お手軽に、ついつい飛びついてしまうわが身を恥じ入りつつ、
最近、少しばかし出てきたお腹をながめつつ、
我家と身体の断捨離に、励みますよ、わたくしも^^; 
                                                                                                                            9-2-10

 
「人のモノは、憎たらしいですね!?」
 
 
 
断捨離とは、自分らしく暮すための環境づくり。
断捨離してこそ、自分の夢は叶います。

最近の受講生さん、片づかないという悩みは、一段と深刻に。
このブログのサブタイトルは、~家の中でため息をついていませんか~
ところが、「ため息」どころか、「窒息」状態のような。

~家の中は、息苦しくありませんか~・・・と、タイトルを変更しなくては(..)


ある受講生さんが、セミナー受講動機を寄せて下さった。

◆夫婦2人暮らし、お互いに片付けが下手です。

特に夫がモノを捨てられない人なので、夫の部屋は衣類やモノで溢れかえり、
リビングの床までモノで溢れた状態となってきています。
そうしたモノにはホコリが積もって、見た目だけでなく本当に汚くなってしまうんですよね。

探しモノについやす時間も多くて、時々、外出前にはお互い発狂しそうになります。

各部屋のクローゼットも夫の衣類で埋まってしまい、私は服を買えません。
夫は、片づけの本を読ませても、その時だけ少しゴミの整理をする程度。
結局、根本的には変わらず、不要なモノを捨ててくれるようお願いすると、
怒ってすごいことになります。

表面的にうまくいっているように見えても、深い所では理解も協力もない私達夫婦の関係は、
主婦である私の至らなさゆえなのだろうか…と思えたりもしてきています。

私自身、正直なところ、この生活のストレスに限界を感じてきていました。
そんな時に先生のセミナーを知りましたので、ご縁を感じています。◆


発狂しそう・・・とは、穏やかではありません。

モノに煩わされている典型的な例、しかも、同居家族の!
そうなんです、受講生さんの、お悩みのなかで一番多いのが、家族の問題。

自分がやっと処分したモノを、もったいないとゴミ袋から拾い出す夫、あるいは妻、両親、舅姑。
イライラはつのりますよね。

が、自分が、人のモノでイライラとしている限り、相手も、噛み付いてきます。
まずは、人のモノには目をつぶって、自分のテリトリーから。
自分の縄張りの、自分にとっての不要・不適・不快なモノの取り除きを最優先に。

夫の夥しい不要品に、腹を立てていたにもかかわらず、
自分それも、負けず劣らず大量だったりして^^;・・・笑えますね。

そう、愉しんで、嬉々として、いそいそと断捨離していると、夫も捨て始めます。


さて受講後、この受講生さん、感想と経過報告を続けてメールに。

◆どうやって片づけをしていくのか、片づけ方法のセミナーだと想像していたのですが、
とても、深い気づきと学びに溢れたセミナーでした。

私は、セミナー翌日から連日出張で、深夜の帰宅。
そのような訳で、まだ何もとりかかっていないのですが、
不思議なことに、私の留守中、溜め込み屋で、散らかし屋でもある夫が、
かなりのガラクタをゴミ袋に詰めて並べていました。

夫がセミナーを受けた訳でもないのに・・・
こんなことってあるのですね、とても、驚いています◆

◆夫と私はほとんど共通点がないにもかかわらず、その後もお互い交互に断捨離しています。

私が忙しくて手が付けられないときには、夫がせっせと自分の所有していた不用品を袋詰めし、
反対に夫が忙しい時には、私がいても立ってもいられなくなって
自分の所有していた不用品の袋詰めをしています。

我が家では両者が同時に断捨離ということは、なぜかありません。
家庭の中には不思議なバランスが働いているのですね◆


ほんと、面白い現象。

案外、この受講生さんご夫婦、潜在意識のところで、集合無意識のところで、
強く結ばれているのでしょう、きっと。好むと好まざるにかかわらず・・・(^.^)

さもなければ、こんなシンクロニシテイは、おきませんよね?! 

                                                                                                                                  08-27-10

  

 

著者 やましたひでこ

 

断捨離の目指すところは、日々のごきげん。
そのごきげんは、自らの、先送りすることの無い小さな選択決断の繰り返しから・・・そんなふうに思いませんか?
 
ごきげんの輪が、ラスベガスに、さらに広がらんことを。 
そして、ひとりでも多くの方が、ごきげんであらんことを。