「離の章」
「変化の醍醐味!」
「変化」に立ち会い、「変化」を応援し、
そして、「変化」の醍醐味を味わう 。
転機の時、変化の時をむかえた、多くの受講生さんが、
この一年、断捨離セミナーに、ご参加くださった。
有難うございます。
飛行機にたとえるならば、格納庫で羽を休めていたセスナ機。
「変化」の時を向かえ、そろそろ、滑走路に向かおうか・・・
アプローチを、そろそろと進み出した頃、
なんだか、様子がおかしいと、意識し始める。
そんな状態の受講生さんが、断捨離に集う。
アプローチには、ガラクタという障害物が散乱、堆積。
なにより、パイロットである自分が、サイドブレーキを握りしめたまま、
アクセルを踏んでような・・・
受講生さんと一緒になって、アプローチを整え、
サイドブレーキを外す、お手伝いをするのが、【断捨離】の役割。
滑走路まで、無事たどりつけば、後は、オート・ラン!
エンジンを全開して、滑走&離陸。
どこでも、自由に飛んでいってね。
断捨離とは?
最近、つくづくと思う、人それぞれでの断捨離があるのだと。
断捨離は、ツール<道具>。
どうのよう使いこなすかは、その人次第!
だって、みんな、オリジナルな存在ですものね。
どうぞ自由自在に操って!
それが、断捨離の目指す【離】の状態なのですから。
そして、手を振って、精一杯、大きく大きく手を振って、
見送るのが私のお役目と。
この1年の、たくさんのご縁に、いっぱいの、いっぱいの感謝を。
セミナーのご参加下さり、このブログに日々アクセス下さって、
本当に、有難うございます。
9-03-11
「この散らかりは、復讐かもしれない」
テレビのリフォーム番組、ビフォーとアフターの映像を比較。
まさに、驚嘆するほど、差があるけれど。
もちろん、断捨離で整理片づけの後でも、
家族が、これ、自分の家!?よその家に来たみたい!と、歓声があがる。
が、驚かせるのが目的ではないです。
そう、断捨離は、片づいた家を自慢するものではないし、
そして、勿論、散らかった状態を責めるものでもありません。
それよりも、片づけ前の状態を、よくよく観察・分析するほうが大切かな。
どうして、こんなになったんだろう・・・
なぜ、こんなになるまで、気がつかなかったのだろう・・・
なんで、こんなにモノがたっまているのだろう・・・
散らかった状態と向かいあい、素直になって、客観的に捉えてみると、
視点の変化がやってくる。
まあ、混乱の渦の中にいるご本人には、なかなか見えてこないのだけど。
タイトルの「この散らかりは、復讐かもしれない・・・」とは、
ご両親ふたり暮らしの実家へ、久ぶりに戻った息子さんの言葉。
住まいは、惨憺たる有様。
家中、まるで整理片づけが、放棄された状態が展開している。
子供が巣立ち、夫婦ふたりきりになって、妻は夫のために、
住まいを整える気遣いも思いも、なによりその気力を失っているような。
それどころか、夫に対して怒りさえ感じているような。
その母親の怒りを、父親への怒りを、敏感に感じ取った、この息子さん、
これから、どうしていくのでしょうか。
彼は、私にこんなふうに語ってくれました。
「父と母、夫婦のことは夫婦に任せようと思います。」
「だって、僕はもう、両親の不仲に不安で怯える小さな子供では、ありませんから。」
そうですね、たしかに、子供が親の人生を、肩代わりすることなどできないし、
ましてや、その必要も、ありませんね。
7-26-11
「戻れない、進めない~これからに向かう・その2」
床を磨きながら、壁の汚れを落としながら、家と同化していく。
家は、まるで自分そのもののよう。
大切な自分の身体を手入れするがごとく、家を愛しむ。
◆これからに向う◆連載・第2回◆
これまでを手放す~連載・全5回の完結編です
この家を、なんとかしよう!
自分で出来ることは、なんでも精一杯しよう!!
この受講生さん、しっかりと、家と自分に向かいあいました。
そうすると、仲介の不動産屋さん、リフォームを請け負ってくれた工務店さんも、
可能なかぎりの協力をしてくれた。
なんとか、予算内で収まるよう、最大限の努力を。
なにより、改修作業の手伝い、片づけとそうじ、掃く・拭く・磨く作業そのものが、
自分を励ましてくれる愉しい作業に変わっていった。
すればするほど、やればやるほど、家がどんどん好きになる・・・
そして、引越し。
家財道具も、友人・知人から調達。
タイミングよく、ひとり暮らしの裕福な知人が、子供との同居のため転居。
処分される運命にあった素敵な家具も、ご縁が繋がって手元に。
夫婦ふたりの生活スタート。
なんとなんと、ご主人は、「俺たち新婚!」と、
60歳を過ぎて臆面もなく友人たちにふれまわっているとか、
しかも、満面の笑みで。
変われば、変わるものです・・・と、この受講生さんも、笑顔。
受講生さんは、言いました。
農場にいたころは、夫も自分も、互いに甘えあって、もたれあっていたのだと。
依存関係が、夫は威張るというカタチで、自分は、黙って従うというカタチで、
あらわれていたのだと。
カタチが違っただけで、夫も自分も、おんなじだったと。
かつての支配的な夫を、こんなにも違った視点で理解することが、
できるようになるのですね。
素敵です!!! 7-9-11
「戻れない、進めない~これからに向かう・その1」
これまでを手放し、これからに向かう。
「これまで」と「これから」の間に、すっぽり嵌まって、時間がとまってしまう人も、場合も。
戻れない、進めない・・・
このままでいるわけにもいかず、でも、これから、どうしたらいいかわからない。
ちょうど、高校は卒業したものの、進学先も就職先も、まだ決まらない。
どっちつかずの宙ぶらりんの春休みのような。
でも、この受講生さんは違いましたよ。
◆これからに向う◆連載・第1回◆
<これまでを手放す・全5回からの続きです>
共同生活の「農場」を出ることに、ご主人も同意。
ほんの数ヶ月前までは、考えられない、いえ、考えもしなかったこと。
限られた予算の中で、夫婦ふたりの家探し。
幸いにして、農場に通える便利な場所に、なんとか中古の小さな家を購入することができた。
少しリフォームをしなくてはならないけれど。
が、いざリフォームにとりかかってみると、想像以上に激しい傷みが、曝け出されて。
基礎は、カビや白蟻の被害。
見えない土台が、危うい家なんて・・・それがわかった時の、激しい落ち込み。
これ以上、家にかける予算は、もうないのに。
戻れない、進めない・・・まさに、そんな状況。
でも、この受講生さんは、踏ん張りましたよ。
もう戻れない、なにより戻りたくない、これまでの生活。
この家を、なんとかするしかない。
落ち込んでいるヒマがあったら、まずは、片づけ、そうじ!
不要なモノを片付けて、ひたすら、掃く・拭く・磨くを繰り返す。
家と同化する作業を、根気よく続ける。
そうするうちに、元気も出てきて、なんとかなるような気が。
そして、そんな気でいると、なんとかなっていくものだから、不思議です。
7-2-11
「これまでを手放す その5~変化への恐れ」
夫に、ずっと従属的だった結婚生活。
従っていさえすれば、安全に、平穏にすごせたから。
◆これまでを手放す◆連載・第5回◆
結婚から30年以上たって、漸くにして、正面から向かいあって。
目を見つめて、自分を主張して。
夫は、妻であるこの受講生さんの豹変ぶりに、戸惑うばかり。
農場を出ることなど、考えもしなかった夫は、繰返す。
「今更、勝手なことばかり言うな!」
でも、妻は言った。
「今まで、私が言ったこと、したことで、あなたに迷惑をかけたことがありますか」
暫くの沈黙のうち、夫は一言、「無い」と。
この一言の後、夫ははじめて、妻の言うことに耳を傾けだす。
なぜ、農場を出たいのか。
なにが不満なのか、ここ農場での共同生活で。
いいえ、不満なのではない。
怖いのだと。
認めたくなかった自分の中の変化への恐れ。
たしかに集団の中で守られている安全な自分・・・
でも変化も怖いけれど、変化せずにいることも、もっと怖い。
このままずっとずっと死ぬまで、共同生活だなんて・・・
そんな妻の心情吐露に、夫も動かされる。
実は、夫も、同じような感情を封じこめていたのかもしれない。
それから、夫婦ふたりでの、模索がはじまって。
妻が、依存ではなく、自立した個としての対等な関係を、夫に求めたように、
夫婦は、農場という集団・組織への依存ではなく、
集団・組織に所属しながらも、共同生活ではない自由な立場でのかかわり方を、
選択することに。
自分とモノとの関係の見直しからはじまった、この受講生さんの断捨離。
必然のごとく、人生の断捨離へと、繋がっていきました。
「断」でも「捨」でもない、「離」の関係の模索。
さあ、家探しが、はじまります。
が、難題は、まだまだ、待っています。
つづきます。
6-12-11
「これまでを手放す その4~住まいを見方に」
今まで、夫が声を荒げると、黙るしかなかった自分。
夫の不機嫌がおさまるまで、待つしかなかった自分。
そんな自分は、卒業しなくては・・・
◆これまでを手放す◆連載・第4回◆
もちろん、夫と諍いをするのが、目的ではない。
言い争いをして、気分がいいわけもない。
ただ、今まで、そのどうにも耐え難いその場の雰囲気から、
目の前の気まずさをやり過ごすためから、
いわば、その場しのぎの「だんまり」をつづけていた自分。
必要以上に、夫を恐れていた自分。
ほんとは、夫だって、対処可能な同じ人間。
自分で、夫を大きなモンスターに仕立てあげていたのかもしれない。
そう、夫と向き合うと、
セルフイメージが低いが故に、まるで大きな熊を前にした子ウサギのような自分に。
そんな図式が、自動的に展開されてしまうのですね。
モノと向かいあい、モノを絞り込むという作業を続けながら、この受講生さんは、
だんだんと逞しくなっていく・・・
ある受講生さんが、◆自分にとっての断捨離◆を、いみじくも、こう表現してくれた。
◆断捨離(だんしゃり)とは?
簡単に言うと「軸を自分に戻す」ということではないかと思っています。
まずは物を片付けながら、整理しながら、処分しながら、
物や他人や過去や観念や・・・に行ってしまった軸を自分に戻してくれます。
もちろん、気分はサイコー!◆
http://precious.hida-ch.com/そうなんです、そのとおり!
自分に軸が、戻ってくると、セルフイメージも上がる。
もう、熊を前にした子ウサギではなくなる。
ひとりの人間として、一個の存在として、対等に夫と向かい会う。
が、夫にしてみれば、訝ることばかり。
ただ黙って、自分の指図に従っていた今までの妻が、なんとなんと、
いちいち自分を主張し始める・・・
おまけに、「農場」を出たいなどと、思いもよらないことまで、言い出して。
それでも、夫は妻が断捨離のセミナーに参加することには、協力的だった。
今まで、妻のやることのほとんどに、反対や難癖をつけていたはずなのに。
それは、だんだんと住まいが、目に見えるカタチで、片づいてきたから。
住まいが、見違えるように整ってきたから。
住まいが綺麗になって、文句のつけようもないから。
夫は、このセミナーを、たんなるモノの片づけ方のセミナーと思っているから。
この受講生さん、まずは、住まい・住環境を味方につけましたよ・・・
つづきます。
5-27-11
「これまでを手放す その3~問題なのは?」
なんだかな・・・
モノの片づけが、人生の片づけにシフトしてきた。
でもそれは、自然なこと。
モノとの関係を、見直すと、
自分と自分との関係も、見直すこととなり、
自分と他者との関係までも、見直すことにつながります。
モノ、コト、ヒトと、断捨離は進んでいくのです。
◆これまでを手放す◆連載・第3回◆
自分たちの心の中、知らず封じ込めてきた思いや願い。
同時に、叶わぬ思い・願いと思い込んでいることからくる不満・鬱憤。
それらを、いったん口にすると、後は、堰を切ったように、噴出してきた。
そうそう、モノと一緒。
それが、今の自分にとって、不要・不適な感情であるならば、
まずは、出し切ることが肝心・肝要。
蓋をしていても、中味がぐつぐつと腐敗ガスを発生させているならば、
不快感は、つねに付きまとう・・・
共同体である「農場」から、外での生活を望んでいる受講生さん。
今の「農場」での生活に感じている居心地の悪さ・・・
でも、同時に、この農場の有り様を否定するのも、本意ではない・・・
ただただ、自分の暮らしを、時間を、自身でコントロールする自由を求めているだけ。
だけど、「農場」を出るなんて、絶対、夫が同意をするわけはない。
「農場」で、重責をになっている夫。
しかも、頑固で短気で、ひとの言うことなど耳を貸してもくれない。
自分の思うとおりにならない、気にいらないと、すぐ声を荒げる。
話し合いにならない。
出てきました、出たきました、今まで我慢していた夫への不満・・・
そこで気がついた。
彼女の不満に、ずっと耳を傾けていた他3人の受講生さんと私。
そうなんです、彼女の不満は、農場での生活ではなく、
支配的な夫、その夫に常に従属的で居続けてきた自分自身。
「農場」が、自分に不自由な生活をしいてきたのではなく、
「夫」が、「自分自身」が、自分に不自由を強いてきたのです。
受講生さん本人は、そのことに気がついていなかった。
ずっとずっと、農場での生活が、不満の源と思っていましたと・・・
問題だったのは、夫と妻の「関係性」!
自分と夫との「関係」の見直し・・・
そこから、次の段階へと進みます。
一時の副作用として、従順な妻から、反抗的な妻への変身!!!
ご主人は、さぞかし、とまどったことでしょうね。
つづきます。 5-14-11
「これまでを手放す その2~イニシアティブは?」
気がついていなかった習性・・・
グレードの高いモノは遠ざけ、自分に許すのは、なんともチープなモノばかり。
そんな習性に気がついた。
◆これまでを手放す◆連載・第2回◆
なぜ、なんだろう?
無意識のパターン、自らを貶めるモノしか与えていない自分。
所詮、自分なんて、たいした存在ではないのだから・・・この程度のモノで充分。
そんなセルフイメージの枠・・・自分では、自覚していないのです。
モノとの関係を問い直す、そんな手法で、
今の自分にとって、【要・不要】、【適・不適】、【快・不快】のモノサシを使い、
モノの取捨選択を繰返すうちに、その枠の一角が、崩れてくる。
モノを捨てられない自分。
捨てるモノを選べない自分。
捨てるモノを決められない自分。
それは、モノばかりではなく、モノ事にも、影響していた。
何も決められない自分。
何をしたくて、何をしたくないのか、選べない自分。
したい事と、したくない事を、決定できない自分。
そうか、今までずっと、これまでずっと、何ひとつ、自分で決めてこなかった。
自分で自分のことを決める事など、どんでもないこと。
だって、それだけの力が自分にあることを、認めていなかったから。
3回コースのセミナーが、終盤近づいたころ、
4人の仲良し受講生さん、それぞれが、各々の胸の内を、口に出しはじめた。
「実は、農場を出たいのですが・・・」
農場?
この受講生さん、実は、農業をメーン事業とする共同体に所属し、
他の大勢の会員さんたちと、共同生活をしていた。
「実は、家を持ちたいのですが・・・」
家?
ずっと借家暮らし、自分たちが家を所有するなんて、身分不相応なのかと、
もうひとりの受講生さん。
「主人を死なせたのは、自分のせいでしょうか・・・」
えっ?
3人目の受講生さんは、暫くまえに病気でご主人を亡くしていた。
夫を病気にしてしまったのは、自分がいたらなかったから、と責めていた。
だから、夫が遺してくれたお金を、自分のために使うなんて許されないと。
「1泊でもいいから、友人と旅行に行きたいのですが・・・」
たった一泊?
そう、4人目の受講生さん、結婚してからこの方、夫・子供に留守を預けて、
自分が旅行をした経験がないのだと。
4人が4人とも、自分の思い・願いを、口に出すことさえ、最初は遠慮がちで。
そして、ようやく、口に出した今も、それが実現可能とは、とても思えない。
いえいえ、自分で、自分には無理だと、ダメ出しを無意識にしている。
実現不可能なのは、自分がそう思っているから・・・
これが、約1年半前の4人の受講生さんたちの段階。
自分の人生の決定権は、自分にある・・・そう思わなくてはね、それがスタート。
モノひとつひとつと、心して向かいあい、
【捨てる・残す】の選択・決断・実行を重ねるうちに、
自分の人生のイニシアティブを取戻していくのです・・・
つづきます。
4-19-11
「これまでを手放す その1~セルフイメージは?」
4人グループの仲良し受講生さん。
当初は、片づかない家をなんとかしたくて、受講。
ところが、講座が進むにてれて、各々、潜んでいたコトが、浮き彫りに。
結果、1年間にわったて、毎月通ってくることとなり、今も継続中・・・
◆これまでを手放す◆連載・第1回◆
片づけ下手を自認するこの受講生さんたち。
受講動機は、モノを溜め込む習性をなんとかしたい、
捨てられないタイプの自分をなんとかしたい・・・
そんな程度?のお困り事なら、お任せを!・・・と、コンサルタントの私。
まずは一緒に、今の住まいの有り様、自分とモノとの関係を検証していくことに。
住まいの現実、家なのか?物置なのか?ゴミ置場なのか?を、客観視。
・・・そこがスタート地点。
そして、ゴールは、清々しい空間となった我が家・・・のはずだった。
が、道は、大きくそれて。
断捨離は、モノとの関係を問い直しながら、結果、自分と自分の関係を問い直すこととなる。
結果というより、おのずとかな。
皆さん、セルフイメージが低かった。とってもとっても低かった。
まず、そのことに気がついて愕然。
日常、自分に許しているモノは、どうでもいい安価なガラクタばかり。
グレードの高い、高価なモノは、もったいないと、ただ保存しているだけ。
決して、自分が使おうとはしていなかった。
というより、それらを使用するこなど、意識のかけらほどもなかったのだ。
企業ロゴがはいった販促グッズ、つまりオマケのカップで、
日々、あたりまえのごとくコーヒーを飲み、
隣においてある沢山のブランド品で、お茶を愉しむなど、ついぞ、なかった。
それって、自分で自分を、貶めていませんか・・・
しょせん、自分には、オマケ程度のモノしか似合わない・・・
その程度と、自分で思っていませんか・・・
沢山の素敵なモノを持っていながら、何故、自分でそれを使わないのですか・・・
使い切れない程溜め込んで、こんなにいっぱい持っているにもかかわらず、
使わないのは何故ですか・・・
保存するのは、あの世で、使うためなのですか・・・
使うのを、どなたかに反対されるのですか・・・
もしかして、制限しているのは自分ではありませんか・・・
そんなこんなを、繰り返し質問すると、
受講生さんは、自分の内に問いかけ、答えを探し始める。
いいモノを持っているにも関わらず、沢山持っているにも関わらず、
なぜか、いつもガラクタみたいな器で、食事をとる自分!
頑丈・丈夫、落としても割れない分厚いグラスを好んで使う自分!
そんな習性に、あらてめて気づくと、自分ながらも可笑しくて。
自分を、素敵な器やグラスで、決してもてなすことなどなかった自分たち。
すべては、セルフイメージのなせる技。
この4人組の受講生さん、ご自身のセルフイメージに気がついてから、
怒涛のごとく、変化がやってきました。
つづきます。
長くなりそうです・・・どうぞ、お付合い下さいますように(^^♪
4-10-11
「突然動きが止まる時がある」
勢いづいていた断捨離が、突然、止まる。
はて、どうしたものか・・・
繰り返し、モノを絞り込み、今の自分には、不要・不適・不快と判断したモノは、
手放した。それこそ、大量に手放せた。
が、最後のダンボール1箱分のモノの前にして、立ち往生。
これさえ、処分できれば、断捨離も大団円を迎えるのに。
その箱の中には、ファンシーグッズ的な文具ばかりが。
可愛らしい便箋やしおり、花柄プリントのメモ紙、キャラクター鉛筆やペン。
そう、可愛らしいが故に、使わずにとっておいた、かつてのお気に入りの品々。
でも、今の自分には、なんとも似つかない。
使う気にもなれない。
かといって、いつか、そのうちも、使うことはないだろう、そう永久に。
でも、いざ処分しようとすると、手元とゴミ箱を、行ったり来たり。
すたれたファンシーグッズではあるにしろ、新品、可愛らしいのは事実だし。
捨てるのに、少なからぬ抵抗があるのは、自然なこと。
こんな場合、引き取り手が見つかると、助かりますよね。
誰かが貰ってくれると、捨てる後ろめたさも、肩代わりしてもらえるから。
だけど、どうしても、行先が見つからない・・・
だけど、捨てるのは、忍びない・・・
だけど、とっておくことに、何の意味も見出せない・・・
「だけど・・・」の集積の中での、停滞。
その時どきに、自分に使うことを許してこなっかた、かつての宝物。
使わないうちに新鮮さを失い、忘れられたままにあった。
そして今、発掘してはみたものの、今の自分には、当時の輝きは見えない。
使いきったモノたちのは、「有難う」の感謝が。
使いきれなかったモノたちには、「ごめんなさい」のお詫びしかありません。
ただただ、ごめんなさい・・・で、処分するしかないのです。
そんなこんなを、この立ち往生中の受講生さんと、話をしていたら、
驚いたことに、彼女に視点の変化がやってきた。
家の中の沢山のモノ、住まいが片づかない原因となっていた大量のモノ。
実は実は、そのほとんどが、自分のモノだった・・・
家の混乱は、夫と子供たちのせいだと、ずっとずっと思っていたのに・・・
今回、このことを、夫に指摘され、素直に謝れなかった自分がいた。
なんだかんだと言い訳を繰返している自分がいた。
たった一言の「ごめんなさい」が、夫に言えない自分がいた。
そうなんだ、この最後に残ったダンボール1箱のかつての宝物たちは、
「ごめんさない」を言う練習台となって、自分の前に存在しているのですね!!!
ひとつひとつに、「使いきれなくて、ごめんね」と、ささやき、つぶやきながら、
夫にも、家族にも、そしてなにより自分にも、
「素直でいられる自分」が、取戻せるのかも知れないと。
ただただ、ごめんなさい・・・しかない時があります。
そして、ごめんなさいは、有難うより、難しいことなのかもしれない、ずっと。
この受講生さん、ご家族に、ごめんなさいを言う勇気が出せたのかしら。
その後の報告を、待っているところ・・・
だって、この私も、見習わなくてはなりませんものね(^^ゞ
4-3-11
「勢いづく時と・・・」
◆断捨離は、勢いづく時と、突然動きが止まるときがある◆
これは、ある受講生さんの弁。
そして、たいていの方が、経験することでもありますね。
◆ひととおり済ませて、
しばらくして、もう一度同じところを見ると、また不要なモノに気がつく。
終わりがない・・・◆
これも同様、多くの受講生さんの感想・報告に共通。
これは、自分の中の意識レベルの変化ゆえ。
最初の意識は・・・使える?、いえ、使えない!・・・つまりは分別
しばらくすると・・・使う?、いえいえ、使わないわ、やっぱり!!
・・・そう、意識レベルは分類に。
そして、また、しばらくすると・・・使ってはいるけれど、別になくても困らない、
なくても平気!!!・・・つまりは、選択のし直し。
そして、最後は、お気に入りばかりを残して、後は、有難う&さようなら
・・・これが厳選の段階!!!!
「分別」・「分類」・「選択」・「厳選」・・・という四つのステップ。
サクサクと断捨離が進んでいる時は、そのステップの中いる時。
逆に、次のステップに移る時に、動きが止まる。
まるで、階段の踊り場で、足踏みしているような、そんな感じ。
そして、この足踏み状態の時、それこそ、メッセージがいっぱいやって来る。
それは、潜在意識からのメッセージ。
自分の中の、自分では気づいていなっかた抵抗勢力。
たかがモノなのに、されどモノにしてしまう何か・・・
たいていは、認めたくない「感情」の場合がほとんどなんですけれどね^^;
あんなに高価で、こんなに大きなモノで、案外簡単に処分、手放せた癖に、
意外とこまごまとしたどうにもチープなファンシーグッズで、立ち往生。
「潔い自分」と「執着だらけの自分」とを行ったり来たりして、戸惑うばかり。
これがかなり面倒で、断捨離が中途に終わってしまう場合もありますね。
たしかに疲れます、このこまごまなガラクタと付き合うのは・・・
身体がというより、「気」が疲れるのですよね。
でも、でも、でも、でも、でもです。
この、こまごまグッズと、きっちり向かいあうと、自分がよくよく見えてくる。
なぜ、この程度のモノで、自分は立ち往生するのか・・・
なぜ、この程度のモノで、自分は悩み、戸惑うのか・・・
この分析と理解ができると、今の自分の受容と、今の自分のなすべきことが、
浮かびあがってきます、間違いなく。
モノと向かいあう断捨離は、本当に面白い。
そして、ちょっとばかし、はい、勇気がいるのです。
次回は、この具体例のお話・・・お楽しみに。
もしかして断捨離が頓挫しているあなた、必読ですよ(^_^)v
2-24-11